たしかな愛

半分くらいはフィクションです。

Blue

「分からないんだよね。本とか音楽とか、誰かを好きになったりだとか、そういうことが。どうやったら人を好きになったり出来るんだろうね」
そう言って彼はふわりとコーヒーを掻き混ぜた。まっしろなミルクがカップの底から浮かびあがり、やわらかな模様を描いている。
季節は春で、私は何だかそれだけでそわそわしていた。
季節は春で、彼は少し気怠げな目をして遠くをみていた。

私は答える。
「とにかく歩いてみたらいいんじゃないですか。好きになるときは、もうどうしたって好きになってしまうものだから」
「犬も歩けば」
「棒に当たる」
「なるほど」
「それが幸福なことかは、分からないですけど」 

そうして夏の間、彼も私も、よく歩いた。歩いているうちに、あっという間に秋になり、冬が来て、私たちはまた同じ喫茶店にいた。
運ばれてきたコーヒーを前に、思い詰めた顔で彼は言った。
「どうして人を好きになったりしちゃうんだろうね」
季節は冬で、私は悴む指先をコーヒーカップで温めていた。
季節は冬で、彼は少し疲れた目をしてコーヒーカップを見つめていた。
彼はそれきり黙り込んでしまい、私は何も言えないまま、つめたくなったコーヒーを時々啜った。

外に出ると、街はすっかりイルミネーションに彩られていて、私たちはその中を並んで歩いた。きらきらしたトンネルが何処までも続くような気がした。
しかしトンネルは意外にあっさり終わりを告げて、気づけば私たちは駅前広場まで来ていた。
広場の中央のツリーの前で、彼はぴたりと立ち止まってツリーを見上げる。
「さむいなあ…」
ひとりごとのように呟いた彼の瞳の青さに、私ははっとしたけれど、やっぱり何も言えないまま、馬鹿みたいに大きなツリーを睨みつけた。

それからまた春が来て、夏が過ぎ、秋になり、幾度となく冬が来て、私は少しだけ歩くのが上手くなった。それでも、街でツリーを見かけると、あの横顔を思い出さずにはいられない。
季節は冬で、私は、彼が世界を見つめる瞳が今も青ければいいと思う。
彼は今もまだあの広場でツリーを見つめているのかもしれないし、もう見つめなくてもいいのかもしれない。あるいは、歩き回って、新しい何かを見つけたかもしれないし、見つけなかったかもしれない。
ただ、幸せでいてくれたらいいと思う。

季節は冬で、世界は青い。