たしかな愛

半分くらいはフィクションです。

三日月が綺麗

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

/ 太宰治「葉」


先日、高校の同窓会があった。
高校時代、なんとなくクラスに馴染めず透明人間のように振る舞っていた私が、急に同窓会に参加する気になったのは、そこに行けば先生に会える、という根拠のない確信があったからだ。

先生。現代文と、古典の先生。古典は難しくてよく解らなかったけれど、別にそれで良かった。基本的に仏頂面で、冷淡な印象さえ与えかねない先生が、文学の話をするときは、きらきらと前歯を覗かせる。私はそれを見るのが好きだった。不真面目な生徒だった私が、居眠りも読書も落書きもせずにいたのは、おそらく先生の授業だけだったと思う。

 

同窓会の開始時刻に少し遅れて会場に着くと、入り口から入ってすぐ、四人掛けテーブルの、一番手前の端の席に、見慣れた背中があって、私は途端に嬉しくなってしまった。ほら、やっぱり!と。教卓越しに毎日眺めた背中だ。入り口横の一番寒い席で、コートを着たまま震えているようなところが先生らしい。先生には、授業中は姿勢が良いのに、それ以外の時は少し猫背になる癖があった。今は寒さのせいか猫背をさらに丸くして、教え子たちの話に耳を傾けている。
ちゃっかり者の私は、先生の隣の席が空くやいなや、椅子取りゲームの如く素早く着席した。しかし、ちゃっかり者の割りに小心者の私は、いざとなると何を話せば良いのか解らず、だんまりを決め込んだ挙句、向かいに座っている友人から「キャバクラみたいになってる」とからかわれ、先生が「いや、どちらかと言うとお見合いのそれ」と突っ込んでいるのを、どうにか掬い上げて「あの、ご趣味は、、」と渾身のボケをかましたものの大滑りして、まるで最推しの握手会で貴重な3秒を無駄にしているような最悪な気分でジントニックを飲み干した。いつでも伝えたいことは言葉にならない。

(私、先生の、あの、きらきらが好きでした。ずっと見ていたいと思っていました。ずっと見ていたいと思っています。私、あのきらきらになりたくて、大学では文学を選びました。先生の好きなもの、私も好きだし、知りたいし、聞きたいし、読みたいって、思っています。
でも、私は「月が綺麗ですね」とか「死んだって良いわ」と言うのがやっとの人間で、最推しの握手会を無駄にするタイプの人間です。)

 

長すぎる沈黙のあと、やっと、ちいさな声で
「先生、最近おすすめの本、ありますか」
と尋ねると、先生は
「うわーいっぱいある」
と、きらきら答えた。
「最近だとこれかな…辻村深月の『闇祓』。ホラーなんだけど、お化けとかは出てこない。結局人間が一番こわいっていう…東野圭吾の『人魚の眠る家』も良かった。これはね…」
零れ落ちる言葉をiPhoneに書き留めながら、必死にノートにシャーペンを走らせた学生時代を思い出す。今、目の前には黒板があって、先生は規則正しいリズムで白い文字を連ねている。神経質そうな、やや細身の、それでいて伸びやかなはらいが特徴的な、先生の文字。

 

「そういえば、先生、毎月おすすめの本を紹介するプリントを配っていたでしょう。私あの本、全部読んでました」
と言うと、先生は自嘲気味に
「あれ本当に読む人、いたんだ」
と笑った。目尻が三日月型にやわらかく窪んで、ひかってみえた。


その夜、日付が変わるころ、先生からラインが届いた。
帰り際、半ば強引に連絡先を交換して貰ったので、意外に思いながらトーク画面を開くと、久しぶりに楽しく本の話ができて嬉しかったこと、嬉しくてつい話過ぎてしまったことなどが綴られていて、「またお会いしましょう。その時を楽しみに生きます」と結ばれていた。

 

「またお会いしましょう。その時を楽しみに生きます」
そうだ、そういう人だった。
淡々とした言葉の合間に、切実な何かをそっと挟み込んでくるような。


そういうわけで私も、その時まで生きていようと思っている。
恥ずかしくなったり病んだり咲いたり枯れたりしながら、またあなたに逢えるのを、楽しみに待って!

 

22.12.31