たしかな愛

半分くらいはフィクションです。

愛を知らない僕たちは

「じゃあ、君はまだ知らないんだね、愛を」
軽やかに3杯目のビールを飲み干した彼が言う。
「あ、すみません、ビールもう1杯お願いします」
と店員に呼びかける横顔が妙に大人びていて、私は思わず感心してしまう。
彼とは小学生の頃からの幼なじみで、会うのは3年ぶりだった。
晴れて恋人ができたという彼は、飲み始めてからずっと「あーマジで今すぐにでも結婚したい」とか何とか惚気続けていて、私はそれをふわふわする頭で聞いていた。友人の惚気話を聞くのは楽しい。「お待たせしましたー!」と泡泡で黄金色のうつくしい飲み物が景気良くドン、とテーブルに置かれる度、私たちは、えへへ、とご機嫌な乾杯をする。

ええと、それで何だっけ、私は愛をまだ知らない?
「なるほど、そういう事になるのかな」と笑った私に、「教えてあげるよ」と彼は言う。
「愛っていうのはね、まばたきの温度、おはようって囁く声の色、幸福の匂いそのもの」
あんまり得意げに言うので「詩人だねえ、ジャック・プレヴェールみたい」と茶化したら、「愛を知るとみんな詩人になるんだよ」と彼は悪戯っぽく微笑んだ。
いつの間にか彼のジョッキはまた空になっていて、私はちょっと焦って1杯目のジョッキをやっと空にする。喉の奥で炭酸がしゅわりと弾けて愉快だ。

ビール1杯ですっかり酔いがまわってしまった私は、2軒目の誘いを丁重にお断りして駅へと足を向ける。「まだ早いし酔い覚ましたいから1駅くらい歩こうかな」と言うと、彼は「歩くならアイスが要るでしょ」と言ってコンビニでアイスを買ってきてくれた。全く私の扱いをよく心得ている。しかも手渡されたのはハーゲンダッツのザ・キャラメル。天才だ。心の中で彼を褒め称える。数あるアイスの中で私は一番これが好きだ。マカダミアナッツも捨てがたいけれど。

浮かれてアイスを食べながら歩いていたら、途中、マンホールに躓いて転びそうになり「相変わらずだなあ」と笑われてしまう。
「そういえばいっつも傷だらけだったよね」
「うん。でも、いっつも絆創膏くれたよね」
「その為に生徒手帳に絆創膏挟んでたからね」
「あの頃、君のこと好きだったよ」
「お、奇遇じゃん。俺もだよ」
「それは友人としてでなく?」
「うん。性的な意味で」
「性的な意味」
思わず聞き返すと、彼はまじめ腐った顔で
「大丈夫、俺は君のこと性的な意味でちゃんと好きだったよ」
と言い直した。
「そんな身も蓋もない言い方あんまりじゃない?」とつっこむと、彼はあはは、と笑って「それじゃハグでもしときますか、お互い好きだった記念に」なんて脈略のないことを言うから、またしても私は「何でやねん」とツッコミを入れてしまうわけで。
「んー友愛のハグ?って言うか、関西弁、久しぶりに聞いたな」
「久しぶりに出た。君もすっかり抜けちゃったね、関西弁」
せやな、こっち来て結構経つからな、と彼はしみじみ頷いてから、ほら、と両手を広げる。3年前よりがっしりした肩幅にちょっと驚く。関西弁を忘れて、お酒の飲み方を覚えて、何だか私たちは変わってしまうね。
懐かしさと誇らしさにくらくらしながら、改札の前で友愛のハグをして、それじゃあね、と手を振った。

別れ際、次に会うときは結婚式かもしれないね、と言ったら、彼は
「さすがにロマンチックが過ぎるわ」
とひとしきり笑った後、
「まあでも、その時は花束投げつけてやるから覚悟しとけよ」
おおきく振りかぶってみせた。
いやいや花束投げるのは花嫁だよ、と言いかけて辞める。
だってきっともうそんな時代じゃない。
男とか女とか、そんなのはもうどうでも良くて、私たちはもっと好きなように振舞っていいはずだ。好きなように愛したり祝福したりすればいい。そのやり方はひとつじゃなくていい。

 

先日、そんな彼から結婚しました、と言う内容の葉書が届いた。このご時世なので、式はあげずに籍だけ入れたという。
「愛は囁きとか語ったけど、今では囁かれるどころか叩き起こされる毎日です。でも結構うまくやっています。いろいろ落ち着いたら式あげるつもり」
右肩下がりの癖字は変わらないんだなあ、なんて思いながら、葉書を眺める。

いつか彼らの式に呼ばれたら、思いつく限りありったけのプレゼントを持って駆けつけよう。
差し当たっての私の愛はそんな所だ。