たしかな愛

半分くらいはフィクションです。

ひまわりが描けない

クレヨンのうたが嫌いだった。
「どんな色がすき?」と聞かれて、赤と答えれば赤いクレヨンが、青と答えれば青いクレヨンがなくなってしまう、あの曲。
幼稚園で歌わされるたび、わたしは泣きそうな気持ちになった。
だって、すきな色からなくなっていってしまうなんて、あんまりじゃないか。
なくなってしまうくらいなら、使わずそっと箱の中にしまっておきたい。そうすれば、すきな色をいつまでも失わずにいられる。
そう考えたわたしはクレヨンを使うとき、なるべく嫌いな色を選ぶようになった。ぱっとしない茶色とか灰色とかで、ドングリやねずみばかりを描いた。
止むを得ずピンクや水色を使うことはあっても、一番すきだった黄色だけは絶対に使わなかった。だからひまわりも星もひよこも描けなかったけれど、おかげで黄色いクレヨンはいつでも完璧な形で箱の中に収まっていた。
そうやってわたしは、すきな色ばかりが入ったクレヨン箱を作り上げたのだった。

けれど、ある日それは起きた。
ちょっと目を離した隙に、同じ組だった女の子がわたしのクレヨンを勝手に使ってしまったのだ。しかもよりにもよってその子は、あの黄色いクレヨンで大きな画用紙いっぱいにひまわりを描いた。わたしが描きたくても描かなかったひまわりを。
それは実に見事なひまわりで、真っ白な画用紙に、ぱきっと気持ちよく塗られた黄色が眩しかった。太陽みたいだ、とわたしは思った。
黄色いクレヨンは半分くらいになってしまっていたのに、そのひまわりがあんまり綺麗だったので、わたしは何も言えなかった。「どうして勝手に使ったの」とか「黄色はとくべつ大切にしていたのに」とか、言うべきことはたくさんあったはずなのに。
彼女は言った。
「わたし黄色がいちばんすきだから、自分のは使い切っちゃったの。だから黄色、貸してくれてありがとう」
わたしは勝手に使っておきながら一方的に礼を言ってくる彼女の図々しさに苛立ちながらも、やっぱり何も言えなかった。
なんの躊躇いもなくすきな色を一番に使い切ってしまえる彼女が、すきな色のためなら平気で人のクレヨンにまで手を出してしまえる彼女が、ただただ羨ましくて堪らなかった。
失うことを恐れずにいられたら、わたしにだって綺麗なひまわりが描けていたはずなのに。すきでいるということだって、もっと手放しで喜べたはずなのに。
悔しいやら羨ましいやらで怒る気にもなれず、わたしは黙ってへらへら笑った。
ひまわりの絵は園長先生にいたく気に入られ、園の壁に長いこと貼られていた。

どんないろがすき (きいろ)
きいろい いろがすき
いちばんさきに なくなるよ
きいろいクレヨン

あれからわたしも随分大きくなったけれど、やっぱりあの歌を聴くといつも悲しくなってしまう。
いつか躊躇わずに大きなひまわりを描けるようになりたい、と思いながら、今日もわたしはドングリやねずみの絵ばかり描いている。